駿台予備校、河合塾と並び三大予備校の一つと称される代々木ゼミナールが、全国の校舎の約7割に当たる20校の閉鎖を発表しました。

閉鎖されるのは仙台(宮城)、高崎(群馬県)、大宮(埼玉県)、柏(千葉県)、池袋、立川(東京都)、横浜、京都、神戸、小倉(福岡県)、熊本などの20校で、存続するのは本部の代ゼミタワー、札幌校、新潟校、名古屋校、大阪南校、福岡校、造形学校(渋谷区)の7拠点に集約する方針です。

大学志願者数は18歳人口が205万人とピークをむかえた1992年に92万人を頂点としてその後は減少が続き2012年には66万人と20年で26万人も減っています。一方で大学数と大学の定員は増加を続け、一部の上位行を除けば、志望すればほぼ全員が入学できる全入時代に突入し、浪人生も年々減り続けています。

1992年前後にはは20万ほどいた浪人生は今や8万人程度、長引く不況の影響で経済状況の悪化もあってか現役志向も高まり予備校経営は苦しさを増していきました。

厳しくなる経営状況の中、生徒の駿台、机(設備、カリキュラム)の河合、講師の代ゼミといわれる各予備校の特色が明暗を分けていったようです。

駿台は生徒の質が高いことに定評があり、東大をはじめ難関国立大への合格実績が高いことに特徴があります。

河合塾は、きちんとした設備と緻密に考えられたカリキュラムでしっかりと生徒をけん引してきました。

一方の代ゼミは、講師の代ゼミそのままに、特色ある名物講師に生徒がついてくるという自由放任主義のスタイルが特徴です。

1990年代初頭は、大学志願者数に対し、大学の入学定員自体が少なく、なかば浪人するのが当たり前の時代には様々な特徴を持った予備校のスタイルが受け入れられる土壌があったのだと思います。

生徒の出欠ときちんと取る駿台や河合塾に対し、代ゼミは入口のカードリーダにスキャンすれば、実際に出席しなくても出席したことになっているという、出欠の取り方にも違いがありました。

自分のペース、自分のスタイルで勉強をしたいという学生には代ゼミはよかったのかもしれませんが、今や時代は至れりつくせりの時代です。

かつては集団授業が当たり前だった中学生の塾も今や個別指導は当たり前です。
ここの学生にフィットしたスタイルが求められている中、代ゼミスタイルは受け入れられなくなっていたのかもしれません。

2013年の東大合格数は駿台1257人、河合塾1101人に対し、代ゼミは369人と大きく水をあけられています。

もっとも、この合格者数は各予備校を合計すると東大の定員をはるかに超えるためあくまで参考程度ですが、それでも差は明らかです。

この東大合格者も1992年前後は、浪人と現役の割合が約7:3だったの対し、昨年はほぼこの比率が逆転し、3:7となっています。

現役生の取り込みに後手を踏んでいるといわれる代ゼミですから、この比率であれば東大の合格者数が駿台、河合塾に比べ3分の1程度なのは納得がいきます。

また講師の代ゼミといわれた代々木ゼミナールの名物講師も、新興の東進ハイスクールなどに引き抜かれるケースも目立っていました。名物講師といえば今や東進ハイスクールの方が多いといえます。

このようにみてくると代ゼミの衰退はいわば必然のような気がします。

生徒の自主性に任せた自由放任スタイルの代ゼミが規模を縮小するのは、どことなく寂しい感じがしますがこれも時代の流れなのでしょう。

時代への不適応化であれば衰退も仕方がありません。

ただ、代ゼミは重点校7校は存続を表明しているので、ここでは多少軌道修正しつつも代ゼミのスタイルを守っていってほしいと感じています。